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なべさんのプロ野球コラム


8/26(金) 第1回 ヤクルトスワローズ 岩村明憲
『プロとして・・・息子として・・・ 母が打たせてくれたホームラン』
この日の未明、岩村に訃報が届いた。

母の死である。試合前練習後にそれを聞いた若松監督は岩村に帰るように促すが、岩村は「プロとして目の前の試合を放棄するわけには行かないし、監督には(宇和島に)帰っていいぞと言われたけど、母はそれを望んでいないと思った」と左腕に喪章を付けて強い気持ちで試合に臨んだ。

試合中は何度もこみあげてくるものがあった。それを必死に堪えながらの第2打席で同点のタイムリー三塁打。第3打席ではフルカウントから3球粘り、9球目。高めに抜けたフォークボールをレフトスタンドへ、逆転の2ランを放つ。さらに次の打席でもホームランを放ち3安打4打点、今季14度目の猛打賞はきっと天国の母が打たせてくれたのだろう。

神宮の空に舞った白球と岩村の想いは間違いなく天国の母に届いたはずだ。

「なんとも言えないけど、勝ってよかった。ホームラン含めてヒット3本は母が打たせてくれたと思う。今までホームランは何本打ったかわからないけど、絶対忘れないと思うよ。母には感謝の気持ちしかないけど、どうやって表現しようかと考えてやっぱり野球で頑張るしかないと思って一日を迎えた。死に目に会えなかったのは辛いし、一日でも早く帰りたいけど、やらなきゃいけないことが東京にはある。やっぱり男の子だから、母親の存在は大きかった。子供の成長をずっと見てきてるし、18歳から数年間、離れ離れで苦労をかけていたし、野球で恩返しするしかないと思っていた。これからも野球で恩返ししたい」

若き主砲は目頭を何度も押さえながらグラウンドを後にした。

8/28(日) 第2回 千葉ロッテマリーンズ 黒木知宏
『千葉マリンにジョニーが帰ってきた!4年ぶりの本拠地勝利!』
8月28日、ロッテが10年ぶりのAクラス入りを決めた。それと同時にプレーオフの出場を決めた。そのマウンドに立っていたのはジョニーこと黒木知宏だ。

この日、今季初登板の黒木は序盤は球もあまり走らず持ち味の低目へのコントロールが出来ていなかった。その黒木を打線が、守備が盛り立てる。

1回の堀の打席、風速は2mなのだが強風が吹いた。2度もフライをとれず、結局ヒットを放ちチャンスメイク。マリンの風も黒木の復活を祝福してくれるかのようだった。今江が小フライに全力疾走しダイビングキャッチする場面もあった。最早、この日優勝が決まるのではないだろうかというぐらい気合が入っていた。何度もピンチを招くものの全員で凌ぐ。打ち取るたびに黒木の雄たけびがこだまする。

結局、7回途中まで投げ、その後も中継ぎ陣がリードを守りきり千葉マリンでは実に4年ぶりの勝利を手にした。マウンドでは鬼気迫るほどの表情もお立ち台では独特の訛りと和やかな笑顔でファンを安心させた。

ファンに愛され、選手に愛され、野球に愛された男。外野席には「お前が居ねぇと始まらねぇ!」の横断幕。今季、快進撃を続けるロッテ。真のエースが戻ってきたことによりついに本当のマリーンズの快進撃が始まる。

9/12(月) 第3回 西武ライオンズ 佐藤友亮
『約5ヶ月ぶりの復帰!もう一度昨年終盤の輝きを!』
4月2日楽点戦。ライト・佐藤の頭上を打球が襲う。打球を追っていった佐藤はそのままフェンスに激突。右肩脱臼と鎖骨骨折のケガを負ってしまった。

昨季終盤ブレイクした佐藤は今年のさらなる飛躍を目指していた。昨年の日本シリーズでは4割近い打率を残し日本一に大きく貢献し、シーズン打率も規定打席には達しなかったが.317の好成績。今年は規定打席に達しての打率3割が目標だった。それだけにこのケガによる長期離脱はあまりにも痛かった。

ようやく9月11日のロッテ戦で約5ヶ月ぶりのスタメン復帰。即フル出場するも4打数ノーヒットに終わった。

佐藤は元々スラッガータイプだった。しかしプロに入り自分は強打者としては生きていけないと悟り、数々の努力を重ねついに「好打者」としての地位を確立しかけた。その矢先のアクシデント。しかし、佐藤は腐らない。努力を無駄にしないためにも今季、残された試合を全力でプレーしてチームをプレーオフに導く。それこそ来期の活躍に繋がるはずだ。

9/14(水) 第4回 北海道日本ハムファイターズ 田中幸雄
『20年目のベテランが目指す記録』
新戦力の活躍や若手の台頭で20年目のベテランは窮地に立たされていた。38歳、田中幸雄だ。今年はシーズン前に「2つの大記録」の達成を目指していた。1000打点と2000本安打だ。2004年はケガなどもありわずか20安打、10打点。本塁打は0本で終わった。

今季も苦しみながらのスタートとなった。主に代打出場で成績もなかなか上がらない。それでもなんとか8月10日のロッテ戦で1000打点にあと1と迫った。そしてついに8月27日、ソフトバンク戦で代打出場。記念すべき1000打点は試合に決着をつけるサヨナラ打だ。

プロ20年目。95年には打点王も獲得したが右ヒジ、右ヒザは爆弾を抱えたまま。自らを「10万キロを超えた中古車」と評す。それでもキャンプでは内野守備をこなした後、率先して外野守備に入るなどまだまだ気合十分。

次なる記録「2000本安打」まであと39本(9/14日現在)。今年中の達成は難しくなったが、まだまだ老け込むつもりはない。中古車はまだまだ走れる。

9/17(土) 第5回 広島東洋カープ 野村謙二郎
『突然の引退発表・・・ 「充実した17年だった」』
広島ファンならずとも突然の引退表明に野球ファンは驚いたはずだ。今年6月23日には2000本安打を達成。全力プレーが身上の野村にはいつでも「ケガ」がまとわり付いてきた。ここ数年もケガに悩まされレギュラーの座からも下ろされていた。その中でも決して腐らなかった。ショートに拘らず、二塁や一塁にも挑戦した。それでも若手の成長により途中出場、代打出場が目立ってきた。

2000本安打まで55安打として迎えた今季、4月は打率.317と好調。5月は躓いたが、6月も打率.354で2000本安打を達成。だがそれ以降は出場機会が激減していた。そして9月14日のヤクルト戦終了後に同僚選手に引退の意思を伝え、18日にその引退会見が行われた。

「自分がモットーとしている『闘志を前面に出す』ということができなくなってきたから」と引退の理由を挙げ、「ここまでやれた自分に誇りを持っている。充実した、あっという間の17年だった」と振り返った。

江藤、金本などの主力がどんどん抜けていく中、野村は赤ヘル一筋だった。その全力プレーは多くの野球ファンを魅了した。記録にも記憶にも残る、カープが誇る最高の遊撃手が今季ユニフォームを脱ぐ。

9/18(日) 第6回 番外編 『日本プロ野球初のストライキから1年・・・』
衝撃の合併発表。新球団誕生・・・。2004年は波乱のシーズンだった。選手及び球団側も色々考えさせられたことだろう。日本プロ野球史上初のストライキから今日で丸一年。

果たして去年と何が変わったのだろうか?各球団ではファンサービス、ファンサービスなどと言うのが聞かれるが、そこまで意識してやるものだろうか?本来自然にやるべきだったものを怠ってきた、それがプロ野球人気低迷に繋がっているはずだ。選手会の頑張りにより1リーグ制という最悪とも言うべき事態は避けられた。しかし、いつまた同じ事が起きるか分からない。年俸高騰、メジャー流出・・・、課題は山積みだ。

ファンも、選手も、球団も根本にある考えは同じはずだ。『日本プロ野球の発展を』果たしてこの先、日本プロ野球は・・・

9/22(木) 第7回 ヤクルトスワローズ 古田敦也
『日本球界の頭脳の苦悩 現役か監督か、もしくは・・・』
奇しくも去年と同じ時期に同じく世間の注目を集めている男がいる。ヤクルトスワローズの頭脳、そして選手会会長の古田敦也だ。去年はパ・リーグ存続を訴え、最後まで奮闘した選手会の会長として昼間はスーツ、夜はユニフォームを着て、寝る間も惜しんで戦ってきた。

そして今年は現役続行か?プレーイングマネージャーか?という選択を迫られている。8月には40歳を迎えた。「結果を残せないなら辞めるしかない」開幕当初から言っていた言葉だ。

今年は開幕から不調が続いた。怪我による離脱もあった。本人は「まだシーズン中だし考えていない」と名言は避けたが、つねづね言っている『球場改装や選手引きとめ』などの条件を飲めばいつ就任のニュースが入ってくるか分からない状況だ。

本日、22日のニュースによると、「球団側は岩村、石井の引きとめに積極的」「古田、監督受託へ前向き、池山氏の入閣有力」など就任秒読みという報道がされている。若松監督も「やっぱり強くして欲しい。いい選手をたくさん獲ってもらいなさい」とエールを送り、最後の最後まで誠実だった。

このところスワローズは話題も青木の安打記録ぐらいしかなく、厳しい状態だ。あまりにも寂しすぎる。ファンとしてはまだ15試合残っているからAクラス入りを目指して欲しい。選手たちも難しいとは思うが、今は目の前の試合を全力で頑張って欲しい。果たして古田の決断は・・・

9/27(火) 第8回 東北楽天ゴールデンイーグルス 田尾安志監督
『就任1年目での解雇』
シーズン中盤から解任の噂があったとはいえ、プロ野球界の常識を考えると「まさか」の出来事である。新球団の記念すべき1代目の監督に選ばれたのは監督経験のない田尾安志だった。おそらく「新球団と同じくフレッシュな監督を」ということで選んだはずだ。そうでなくても1年目での解雇はどうしても疑問符がついてしまう。

楽天は他球団を解雇になった選手ばかりである。それゆえにシーズン100敗もあるのでは?と言われた。確かに2度の11連敗や勝率2割台などと不名誉な記録を作ってしまったが、100敗の危機は免れた。そういう意味では期待以上の戦いだったのではないだろうか。しかも球場に足を運ぶお客さんも徐々に増え続けていった。期待できる若手も出てきた。そこでなぜ解任なのだろうか?選手の士気が下がるとともにファンも冷めるだろう。

あの王でさえダイエー(現ソフトバンク)を優勝に導くまでは5年かかった。何度罵声を浴びせられても王は『我慢』した。そしてフロントも『我慢』したはずだ。その『我慢』こそが球団の発展へ繋がるのである。

フルキャストスタジアムの外では今も署名を行っている。今年イーグルスが裏切ったのは「成績面」でもなければ「経営面」でもない。この監督解任劇である。

9/30(金) 第9回 千葉ロッテマリーンズ 今江敏晃
『4年目でのブレーク!真のミスターロッテになれるか!?』
パ・リーグの全日程が終了した28日。打撃10傑の6位に今江の名前が載っていた。9月4日にはそれまで首位をキープしてきた石井義(西)を抜き去りトップに躍り出た。その後、徐々に落ちていったものの.310で堂々のチームトップ。

「ゴリ」というあだ名からは強打者というイメージがあるがそうでもない。チャンスではしっかり流し打ちも出来るし、様々な球に反応できる能力を持っているのだ。昨季終盤には1軍に定着もレギュラー奪取までとはいかなかった。しかしなんと自ら「ミスターロッテ」の背番号8をつける覚悟を決めたのだ。つけるからには来年の活躍を約束しなければならない。

しかし今江はやってのけた。開幕こそやや低迷したものの中盤から大爆発。7月後半から8月17日までには22試合連続安打を記録。これはあのミスターロッテこと有藤の21試合連続安打の球団記録を破る記録となった。

自らに試練を与え見事に飛躍した今江。だがまだ真のミスターロッテと呼ぶには早い。まだ22歳、もっと成長するはずだ。その時改めてこう呼ぼう。「ミスターロッテ・今江敏晃」

10/3(月) 第10回 阪神タイガース 下柳剛&JFK
『規定投球回数未満&史上最年長での最多勝へ向けて・・・』
今年の阪神の流行語と言えばやはり『JFK』だろう。その『JFK』と共に優勝に大きく貢献した男がいる。下柳剛、37歳。

タイトルとは無縁の男が37歳にして初のタイトルを獲得しようとしている。『最多勝』文字通り、最も多く勝利投手になった選手である。下柳が今季積み上げてきた勝利数は15勝。負け数は3敗というのも驚きである。この15勝は『JFK』と共に積み上げた、と言っても過言ではない。

今季、24試合に登板。そのうち『JFK』揃い踏みが10試合。逆に1人も登板していない試合は7試合しかない。うち3試合は序盤に大量失点したためである。6回まで投げれば勝利はほぼ確定したと言ってもいいだろう。そしてもうひとつ。規定投球回数未満での最多勝は88年の伊東(ヤクルト=18勝だが55試合全てに救援出場)以来である。したがって下柳は先発専門投手としては初になる。そして37歳での獲得となると44年の若林(阪神=36歳)以来の快挙だ。

もう一人、広島の黒田は15勝で下柳と並んでいる。単独最多勝を目指し12日に横浜戦での先発が濃厚だ。現時点で史上3人目となる最下位球団からの最多勝投手となった。どちらにしても珍しい記録が残る。黒田に「負けてくれ」とは言えないが、出来ることなら是非両投手に獲得してもらいたいものである。

10/10(月) 第11回 ヤクルトスワローズ 佐藤真一&若松勉監督
『40歳のベテランと小さな大打者。師弟共にスワローズを去る・・・』
今年、若松監督が退団を表明。そして10月9日には40歳のベテラン、佐藤が引退を表明した。

佐藤は93年にダイエー(現ソフトバンク)に入団。そして96年にスワローズに移籍。99年、若松監督就任1年目にスタメンに抜擢され球団記録の25試合連続試合安打を記録するなど.341、13本塁打、48打点をマークし34歳にして自己最高の成績を収めた。しかし年のせいもあり、翌年からは代打が中心になった。それでも結果を残し続け、いつしかスワローズに欠かせない存在になっていた。

そして今年兼ねてから目標としていた「40歳まで現役」をクリアしてバットを置く決意をした。試合前の始球式は長男が投げ、父の顔をのぞかしていた。そして試合では代打で出場し見事なツーベースヒットで球場を沸かせた。試合後はライトスタンドまで走って声援に応えた。そして一部の横浜ファンもレフトスタンドに残って声援を送ってくれていたのである。結局笑顔でグランド一周。選手たちはその間ベンチに下がることなくずっとその光景を見ていた。この辺にも佐藤の人望の厚さが伺える。

人望といえば若松監督もそうである。まさに「温和」という言葉が当てはまる。監督には向いてないのかもしれないがしっかりと結果を残した。就任3年目には日本一に輝いた。唯一の心残りはテロの影響でV旅行に行けなかったことだそうだ。記者会見では「温泉に入りたい」と笑顔で話した。

90年後半から今年にかけて、この2人は間違いなくスワローズを支えてきた。佐藤は記録にはあまり残らないがしっかりとファンにその姿を記憶させたはずだ。若松監督も青木や岩村、宮出、ラミレスなど、若手や外国人を辛抱強く使い、先発投手の少ないチーム事情もうまくやりくりしてきて、欠かせないものをスワローズに残し「小さな大打者」は「小さな名監督」となった。2005年、師弟は共にユニフォームを脱ぐ。若松監督の「ファンの皆様、本当にあの〜・・・あの・・・ おめでとうございます」は一生忘れません!お疲れ様でした!
(どうやら佐藤は古田との信頼関係が深いことから新体制下での入閣が見込まれているそうです 10月13日付)

10/17(月) 第12回 福岡ソフトバンクホークスVS千葉ロッテマリーンズ
『パ・リーグ頂上決戦!』
<マリーンズSide>
31年分の夢を乗せた白球がレフトに上がった。井上ががっちりとボールをキャッチ。サブローは涙でボールが見えなかった。念願のパ・リーグ制覇。一番優勝から遠ざかっていたマリーンズはついに頂点に立った。千葉マリンが揺れる。雨の中スタジアムに集まった観客は歓喜に沸いた。31年前を知っているファンの涙と今の強いマリーンズを知るファンの涙。いつのまにか雨は歓喜の涙に変わっていた。強かった。プレーオフ1回戦、2回戦共にエースを打ち崩しての勝利だった。一進一退の攻防。逆転に次ぐ逆転。これぞ野球の醍醐味である。
里崎、天国のおばあちゃんも喜んでるよ!コバマサ、第3戦の試練を乗り越えた今、日本一の守護神はお前しかいない!今江、奥さんと息子も喜んでるよ!黒木、七夕の悲劇もこの日のための物語のひとつだ!日本シリーズを楽しみにしています!初芝、まだまだバットを置くのは早い!もう一花咲かせよう!彼らだけではない。このチームにはドラマが多すぎる。バレンタイン監督を筆頭に戦った「全員野球」全員主役の戦いで見事パ・リーグを制した。だが戦いはまだ終わらない。“日本一”という夢がある。しかし今日ぐらいは勝利の美酒に酔うのもいいのかもしれない。

<ホークスSide>
あと一歩、届かなかった。新聞はこぞってこう書き立てる。「2年連続の“悪夢”」と。しかし、これは悪夢ではない。更に強くなるための“試練”である。それは、松中にとっても川崎、三瀬、杉内、斉藤、馬原、そして的場にとっても同じである。もちろん彼らだけではない。この日の涙は忘れてはいけない。第3戦の脅威の粘りは来期に繋がる戦いだった。一度死に掛けた王者は最後まで諦めなかった。それでもあと一歩、あと一歩届かない・・・ケガで出れない城島は涙を流す的場に「この胴上げをよく見ておけ、来年もあるんだから」と言った。最後まで心はチームと離れてはいなかった。悔しさをかみ殺し、静かにベンチ裏に消えていった。

<At the end>これほど思い出に残る試合は数少ない。本当に素晴らしい試合だった。その一球を見逃さない集中力。絶対に抜かせない、という気合のダイビングキャッチ。松中の気迫のヘッドスライディング。その一球一球に目を釘付けにされた。プレーオフには苦言を呈する人が多い。私もその内の一人である。見直しが必要だ。だが今は、制度の問題や日程の問題は忘れてこう思う。

野球はいいもんだ!野球は楽しいぞ!

今年引退した広島カープの野村さんの言葉をお借りしました。本当にその通りです。ソフトバンクとマリーンズよ、感動をありがとう!

10/20(木) 第13回 番外編 飛ばないボール 『今季から導入の飛ばないボール。果たして成果は?』
今季から8球団でミズノ製のいわゆる「飛ばないボール」を採用することになった。残る4球団、楽天、阪神、ヤクルト、広島は低反発とされる他メーカーの球を採用を決め、2005年シーズンは幕を開けた。今回は飛ばないボールがどれほど影響を与えたのかをデータで紐解いてみようと思う。

〜本塁打数(カッコ内は得点)上が2004年、下が2005年〜
中・111本(623) ヤ・181本(618) 巨・259本(738) 神・142本(637) 広・187本(662) 横・194本(640) 計・1074本(3918)
西・183本(718) ダ・183本(739) 日・178本(731) ロ・143本(649) 近・121本(630) オ・112本(622) 計・920本(4129)

神・140本(731) 中・139本(680) 横・143本(621) ヤ・128本(591) 巨・186本(617) 広・184本(615) 計・920本(3855)
ロ・143本(740) ソ・172本(658) 西・162本(604) オ・97本(527) 日・165本(605) 楽・88本(504) 計・827本(3638)

セは154本、パは93本も減っている。しかしセは得点数はあまり減っていないことが分かる。そしてもうひとつ。「本塁打が多いチーム=強いチーム」という方式を見事に打ち破った、と言っていいだろう。阪神、ロッテ共に本塁打数はリーグ4位、にも関わらず得点は2位を大きく引き離しトップである。
個人的に接戦の方が見ていて楽しいタイプなので今年の野球は非常に息詰まる投手戦が多かったという印象がある。プレーオフはそれを象徴していた。

〜チーム別2ケタ本塁打の選手数(上が2004年、下が2005年)〜

中・2ケタ4人(30本台0人、40本台0人) ヤ・2ケタ6人(30本台1人、40本台1人) 巨・2ケタ8人(30本台2人、40本台2人)
神・2ケタ5人(30本台1人、40本台0人) 広・2ケタ7人(30本台1人、40本台1人) 横・2ケタ8人(30本台0人、40本台2人)
計・2ケタ38人、30本台5人、40本台6人
西・2ケタ6人(30本台2人、40本台0人) ダ・2ケタ5人(30本台2人、40本台1人) 日・2ケタ6人(30本台0人、40本台1人)
ロ・2ケタ6人(30本台1人、40本台0人) オ・2ケタ3人(30本台0人、40本台0人) 近・2ケタ4人(30本台0人、40本台0人)
計・2ケタ30人、30本台5人、40本台2人

神・2ケタ4人(30本台0人、40本台1人) 中・2ケタ5人(30本台1人、40本台0人) 横・2ケタ5人(30本台1人、40本台0人)
ヤ・2ケタ3人(30本台2人、40本台0人) 巨・2ケタ8人(30本台1人、40本台0人) 広・2ケタ6人(30本台1人、40本台1人)
計・2ケタ31人、30本台6人、40本台2人
ロ・2ケタ5人(30本台1人、40本台0人) ソ・2ケタ4人(30本台0人、40本台2人) 西・2ケタ6人(30本台1人、40本台0人)
オ・2ケタ3人(30本台0人、40本台0人) 日・2ケタ5人(30本台2人、40本台0人) 楽・2ケタ4人(30本台0人、40本台0人)
計・2ケタ27人、30本台4人、40本台2人

両リーグとも30本台の人数はさほど変わらない。40本台もセは多村、ラロッカのケガ。ローズの不振を考えればほとんど変わらない。しかし2ケタ本塁打の選手数はやや減っているのが分かる。ここで分かるのは、「本塁打は打つべく人が打つもの」ということ。例を挙げると宮本の流し打ちの打球がスタンドに入るのを見て釈然としないものがあった。やはり打てる選手と打てない選手がいてそれぞれの役割を果たすのが野球である。ホームランは打つべく人が打つから貴重なのである。それを思い知らされる2005年だった。

12/9(金) 第14回 西武ライオンズ 西口文也 『3度目の正直ならず・・・パ現役最多勝投手は悲運のエース』
「2度あることは3度ある」この言葉が一番似合う男、それは西口である。8月27日の西武対楽天、この日は史上稀に見る投手戦となる。西口と一場の投げ合いはゼロ行進のまま9回まで進んだ。一場にはプロ初勝利&初完封。そして西口には完全試合が懸かっていた。

西口は過去に2度ノーヒットノーランを逃している。1度目は2002年8月、ロッテの小坂に9回2アウトから中前打、2度目は今年の5月、交流戦で巨人の清水に9回2アウトからホームランを打たれている。まさかこの日も・・・と思われていた。だがこの日は9回最後の打者を打ち取り味方の援護を待った。しかし9回裏のサヨナラのチャンスでもあと一打が出ない・・・。そして西口は力尽きる。10回先頭の沖原に1,2塁間を抜けるヒットを打たれ夢は潰(つい)えた。

西口は言う。「立ち上がりは調子が良くなかった」それでもここまでのピッチングをしてしまうのだ。ここまでくると逆の意味での「運も実力のうち」となってしまう。

完全試合の確率は打者全員の出塁率を3割とすると、打者27人なのでアウト率0.7の27乗になる。出塁率が2割ならば、アウト率0.8の27乗。前者は約15,000分の1、後者は約4,000分の1。プロ野球の年間試合数を800とすると、5年〜20年に1回という計算だ。日本での達成者は15人で平均すると3〜4年に1人である。しかし最近では94年の槙原以来11年ぶり、その前は阪急の今井の27年前まで遡る。近年の打者有利を考えると西口は素晴らしい快挙を成し遂げることろだったのだ。しかし公式記録には残らないものの、この日の西口の投球は今後も忘れて欲しくないものである。

12/19(月) 第15回 前オリックスバファローズ監督 現シニア・アドバイザー 仰木彬氏
『イチロー、野茂、田口、長谷川、佐野らを育てた、パ・リーグ一筋の名将、死す』
まさに「目を疑う」とはこのことだろう。15日のスポーツニュースで追悼番組がやっていた。テロップに目をやると、「仰木氏死去」の文字があった。

突然の訃報だった。しかし実は数年前に肺ガンの宣告を受けていたのだ。抗がん剤による投薬治療が一度は成功。今年は合併球団、オリックスバファローズの監督を務めた。その時すでに70歳、監督という激務の中で病魔は進行していった。監督を退任すると同時に極秘入院。11月末に球団納会を急遽キャンセルしており、このころから容態が悪化したと見られる。そして、15日午後4時すぎ、帰らぬ人となった。

恩師の訃報にイチローはコメントできないほどのショックを受けた。長谷川は日本に一時帰国中で撮影などの仕事で訪れている東京都内で聞き1日たっても信じられない様子だったという。田口はテレビの取材で「監督や恩師と言うより親父のような存在だった」と涙を流した。

もちろん彼らだけではない。1995年の阪神淡路大震災のときには「頑張ろう神戸」を合言葉にオリックスを優勝に導き、神戸の復興に希望の種を蒔いた。仰木氏の残したものはプロ野球の世界を超え、すべての人間に忘れられない思い出を残してくれた。

88年の伝説の名勝負「10.19」を始め、数々の奇跡を起こした。その姿は一生忘れない。とても大きな財産や記憶をプロ野球界に残してくれた。そしてその仰木氏を失ったことはプロ野球界に大きな影響が出るだろう。

仰木彬 選手通算成績:1328試合 .229 70本 326打点 116盗塁
      監督通算成績:1856試合 988勝 815敗 53分 勝率.548 リーグ優勝3回 日本一1回

「グラウンドで死ねれば本望だ」

皮肉にも去年の合併問題で誕生した球団『オリックスバファローズ』は仰木氏以外に出来る人がいないとまで言われ、それに押される形での就任となった。ボロボロの体に鞭を打ち、采配を振るった仰木氏。天国でしっかり体を休めてから好きなだけお酒を飲んでください。ご冥福をお祈りします。数々の感動と奇跡をありがとうございました。

2/4(土) 第16回 北海道日本ハムファイターズ 岩本勉 『最後までファンに愛された男 背番号18からの「卒業」』
この男の放った輝きはとても輝かしく、そして短かった。輝き始めたのは6年目の95年。5勝7敗と負け越すものの初の規定投球回数に到達するなど一躍ローテ入りした。翌年には初の2ケタ勝利を挙げエースへの階段を上り始めた。95年から2ケタ勝利は3度、規定投球回数到達は4度達成しており、98年にはオールスターにも出場した。

この男が輝きを放ったのは球場だけにとどまらなかった。日ハムのエースとして知名度が上がり始めた頃、お立ち台での「まいど!」はあまりにも有名で、正月番組での和田アキ子のモノマネは達人芸、トークも素人とは思えないほど軽快でお茶の間を楽しませてきた。しかし00年以降は思うような成績が残せなくなっていった。02年にはわずか4試合の登板。その後は毎年のように「復活のシーズン」と言われながらも復活は出来なかった。

そして05年、引退をかけて望んだシーズンだったがそのオフには戦力外通告。新天地でのプレーを模索するものの獲得意思のある球団は現れず先月の23日に引退を発表した。

決して防御率が低くないことなどから「岩本はエースではない」と言うファンもいたが私はそうは思わない。事実、岩本が2ケタを挙げた96年は前年4位から2位に押し上げ、同じく98年も2位。97年(岩本は7勝)は4位だった。そして岩本が低迷し始めた00以降、チームも低迷し続けている。エースに必要な「存在感」というのが岩本はずば抜けていたのだろう、と私は考える。

引退会見で岩本はホリプロに所属し野球解説者として活動すると発表。またお茶の間に顔を出してくれるだろう。その時は是非「まいど!」を聞きたいものである。

3/22(水) 第17回 WBC日本代表 イチロー&日本代表 『言葉で、声で、気持ちで、背中で日本代表を引っ張っていった男の素顔』
「純粋に世界一を決める大会に出たかった」こう言った時のイチローの目はまさに野球少年の様に輝いていた。そして続け様に「王監督に恥はかかせられない」と真剣な表情で語った。

1次リーグでは中国、台湾に大勝したものの韓国に逆転負けを喫し、一気に危機感が漂った。そしてイチローは1次リーグ12打数3安打で.250と本来の力を発揮出来なかった。一部のファンの間ではイチローが足を引っ張っているなどとも言われていた。
2次リーグでは初戦のアメリカ戦は所謂「誤審」もあり3−4と惜敗。メキシコには快勝するものの韓国にまたもや8回に失点し惜敗を喫してしまった。多村が三振に倒れた瞬間、和田一は一目も憚らず涙を流した。イチローは「F××K!」と叫び、この日を「人生最大の屈辱」と言い放った。「向こう30年は日本手を出せないな、と思わせる様な勝ちを」と言った相手にまさかの2連敗。普段はお酒を飲まないイチローも「これほど飲んだ日はない」と言うほど気持ちの整理がつかなかった。

この時点で準決勝出場はほぼ絶望的。それを救ったのはメキシコだった。メキシコがアメリカに2−1で辛勝。またもや誤審があったがメキシコはそれをキッカケに執念を燃やした。結果日本は2位で2次リーグ突破。死の淵から蘇ったチームは強かった。
準決勝の相手は三度韓国。イチローは3番で先発出場。上原、ソ・ジェウン両先発の好投もあり、中盤まで両者一歩も譲らぬ好ゲームだったが7回に試合が動いた。松中が「どうにかしないといけなかった。必死だった。」と気迫の2塁打。ここで5番多村は送りバントを失敗、嫌なムードが漂った。それを払拭したのがここまで不振にあえいでいた福留だった。韓国の2番手・ジョンから値千金の2ラン。そこから一挙5点を挙げた。8回には多村が怒りの一発。韓国の戦意を喪失させた。結果6−0で快勝し、ついに決勝進出を決めた。

決勝はキューバ。接戦は確実と言われていたが初回から日本は今江の2点適時打などで4点を先制。日本の先発・松坂も初回に先頭打者パレットに本塁打を浴びるなど、制球に苦しんだが、4回を1失点にまとめた。
2番手の渡辺も5回は無失点。このままいけるかと思われた矢先に川崎のエラーから3連打で2点を奪われ楽勝ムードは一転。7回にはまたもや川崎のエラー。ここはゲッツーで凌いだものの次打者のファーストゴロを渡辺がまさかの落球。これが世界一へのプレッシャーなのか。しかし結局この回も無失点で切り抜ける。日本は7,8回と3者凡退で流れが序々にキューバに傾いていた。
8回裏、恐れていた事が現実となる。渡辺を続投、先頭打者を内野安打で出して降板、チームメイトの藤田にバトンを託した。4番打者を左飛に抑えるものの5番・セペダに痛恨の2ランを浴び、点差は1点。ここで王監督は大塚に全てを託した。この回をキッチリ抑えると、9回に日本は西岡の、あの日本シリーズを彷彿とさせるプッシュバントやイチローのタイムリー、川崎の好走塁、福留の2点タイムリーなどで一挙4点を追加。その裏、大塚が2安打を浴び、1点を奪われたものの、なんとか逃げ切り世界一の称号を手に入れた。

球場に響き渡る歓喜の声、歓声、選手たちは子供のように喜んだ。この瞬間の視聴率は56%を記録。野球人気の低迷が叫ばれているが、これを見るかぎりはそんなことを微塵も感じさせないほどの数字と言えるだろう。もちろん視聴率だけではないが、この大会は大成功であろう。そしてその大会で日本は世界の頂点に立った。

大会前、イチローは「僕を雲の上の人と思っている若い選手が多すぎる。これでは絶対に世界では戦えない」と思ったと言う。そこでイチローは若い選手にフレンドリーに、積極的に話しかけた。シャンパンファイトでは今まで見せた事のない顔のイチローがいた。そこには普通の人間と変わらない、皆と同じようにはしゃいでいる姿があった。しかしひとたびインタビューを受けると表情は一変。真面目な顔で受け答えした。「次の夢はなんですか?」と聞かれたイチローは「う〜ん・・・なんでしょうね・・・ちょっと酔っ払ってて考えられない」と笑顔で返した。しかしイチローは王監督が「これがゴールではない、スタートなんだ」と言った事を聞き、改めて王監督を尊敬したと言う。そう、イチローはまた新たな「夢」に向かって走り出している。その「夢」とは誰にも分からない。そう、イチロー本人も・・・

当初、WBCには様々な問題点があった。開催時期、選手の辞退、グループ分け・・・そして開催中にも相次ぐ誤審による審判の見直し、準決勝の対戦カード。しかし、第1回大会と言う事を考えれば多少の問題は仕方ないのではないだろうか?次に改善すれば良いのだし、今回その問題点が見つかったことは次の大会で直すことが出来る。そんなことよりまずこの大会を素晴らしいものにしてくれた選手や他国のチームに感謝しよう。

大きい体の、でもいつまでも少年の心を持ち、その一球に、一打に、僅か一瞬の出来事に全てを懸け、目をキラキラさせながらグラウンドを駆け回り、小さなボールを必死に追いかける姿に、本当に感動させられました。 世界一、本当におめでとうございます!

最高の「30人の野球少年」でした!本当にお疲れ様!

そして9回表、日本の攻撃の時、好投を続けていたキューバの投手、パルマがエラーとセーフティーバントでピンチを招いて降板したときにマウンドでコーチ(?)に抱き寄せられた映像を見て胸が熱くなりました。「まだ逆転出来るんだ!絶対に点を取らせない!」という気持ちがピッチングから強くにじみ出ていました。それだけに降板は悔しかったでしょう。サッカーなどの時間制限のあるスポーツと違って野球は少し時間に猶予があるスポーツです。だからこそ試合中に選手を労う場面が生まれるんだと思います。敵ながら本当に頑張っていたと思います。そして、ベンチも執念の投手交代。最後まで総動員で日本に向かってきました。そこは日本も見習うべきだと思います。 キューバの選手及び首脳陣には本当に感謝です。良い試合をありがとう。そして、お疲れ様です!

本当に野球って素晴らしい!面白い!


4/9(日) 第18回 『各球団、激しい正捕手争い!』
パが25日、セが31日にそれぞれペナントレースの幕を開けた。そこで今回は各球団の正捕手争いについて書いてみたいと思う。

『炭谷銀仁朗(西武ライオンズ)』
なんと言っても今一番の話題が西武ライオンズの炭谷だ。高卒ルーキーながらオープン戦で結果を残し捕手としては51年ぶりの開幕スタメンマスクを被った。いきなりプロ初ヒットを放ったもののエース西口を上手くリード出来ず敗戦。その後3試合でヒットを1本しか打てなかったが、圧巻は4試合目だった。ソフトバンク戦でプロ入り初のホームラン、しかも満塁である。更に6回にも2ランを放ちチームの勝利に貢献。高卒ルーキーの1試合2発は松井秀喜以来だ。それがキッカケで波に乗り、8日現在で.205と打率こそ低いものの本塁打2、10打点と勝負強い打撃を見せている。チームも7連勝中。これからも炭谷から目が離せない。

『的場直樹(福岡ソフトバンクホークス)』
城島の抜けた穴をどう埋めるか。それが今年のソフトバンクの最大の課題だった。昨季後半に活躍した的場が筆頭候補だが大半の人は「物足りない」と嘆いているだろう。だからこそ的場は燃えていた。見事開幕スタメンマスクを被り斉藤を巧みにリード。リードには元々定評があり、守備面では城島の穴を埋めるのに決して不可能ではないだろう。しかしやはり打撃では決して褒められる数字は残せていない。そして現在チームも2年ぶりの4連敗と不調で、改めて城島の不在が痛手となって結果に現れてきた。しかしまだ開幕して間もない。是非ファンの方はもう少し的場を見守ってやって欲しい。必ず「的場がいてよかった」と思える日が来るはずだ。

『米野智人(東京ヤクルトスワローズ)』
古田が選手兼任監督に就任し、2番手捕手にチャンスが回ってくることは確実だった。打撃に定評がある小野、強肩が武器の米野。古田が選んだのは米野だった。キャンプから米野を徹底指導。例年以上に米野には期待をかけていた。監督とはいえ選手として言うならば米野はライバルとも言える。それでも古田は米野に自分の考えを徹底的に叩き込んだ。元々、守備には定評があり、常にポスト古田と呼ばれ続けてきた。その米野の最大の課題は打撃にあった。振れば三振の山、見逃せばストライク、当たっても内野ゴロ・・・苦悩の日々が続いた。それだけに今季にかける思いは誰よりも強い。米野本人は「キャッチャーというポジションが僕を変えてくれた」と言う。今季は確実に試合出場が増えることになる。もちろん打席に立つ回数もしかり。肩の力を抜いて、狙うは「古田の控え」ではなく「スワローズの正捕手」だ。

今年は各球団、例年にないほど正捕手争いが激しくなっている。しかしそれだけ選手が成長すると言う事だ。次代を担う名捕手はこの中にいるのだろうか?今後も注目していきたい。

5/2(火) 第19回 読売ジャイアンツ 小坂誠&尾花高夫総合投手コーチ
『好調巨人を支える2人の新戦力』
巨人が貯金12(5月2日現在)でセ・リーグを独走中だ。投打の噛み合わせが非常によく連敗もほとんどない。矢野や内海などの若手の奮闘も好調の理由だろう。今回は彼ら以外の「新戦力」について書いてみようと思う。

開幕から二塁のレギュラーとして地味ながら玄人好みのプレーとしぶとい打撃で巨人を支える小坂。その姿は若手にも良い刺激を与えている。原監督がシーズン前から目標に掲げていた「スモールベースボール」それにうってつけの選手として期待されていただその影響は予想以上に大きかった。チーム成績も犠打、盗塁共に昨季に比べ飛躍的に増えている。小坂の意識が他の選手にも浸透しているのが最大の理由だろう。決して目立たないが、少しずつ、しかし確実に巨人は小坂の加入により変わりつつある。

もう一人の「新戦力」
それは尾花総合投手コーチである。昨季までソフトバンクの投手コーチも務めていたが今季から巨人の投手総合コーチに就任。キャリアも実績も申し分なく、投手陣の能力の底上げも期待されていた。それは数字となって現れる。5月2日現在でチーム防御率は3.43で阪神に次ぐリーグ2位の成績。先発・中継ぎ共に若手らの活躍が目立つのは尾花コーチの手腕であることは間違いない。阿部も尾花コーチには全幅の信頼を置いている。「ああしろ、こうしろとがんじがらめにされていたら、確かにおれは今ごろ、頭がパンクして入院していたと思う。でも尾花さんは、本当に困ったときにどうするか−だけをシンプルに教えて、あとは自由。それがいいんだ」と阿部は言っている通り、今季は僅かながらリード面にも進歩した部分が見られるようになってきた。「優しさと厳しさ」をバランスよく持ち合わせた尾花コーチは人望も厚く、巨人投手陣に新たな風を吹き込んだ。選手ではないわけだから個人としての数字はないが、間違いなく「新戦力」である。

6/3(土) 第20回 福岡ソフトバンクホークス 西山道隆 『異例のスピード出世!育成選手初の1軍戦登板!』
ドラフト入団ではない。そしてドラフト外ともまた違う。西山は昨年に制定された「育成選手」の選手として初となる1軍戦に登板した。昨年までは四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツのエースとして活躍。MAX150キロを誇るストレートと落差のあるフォーク、そして何より「完投能力」を買われ、ホークスに育成選手として入団した。

5月24日に支配下選手登録、26日には1軍に昇格。そして28日に中継ぎでプロデビューし、1回を投げ2安打1失点だったが、先発のチャンスは予想以上に早く訪れた。神内が怪我のため、戦線離脱。その穴に西山が抜擢された。西山は「このチャンスを逃したくない」という気持ちが強すぎたのか、2回までに3失点。3回にも連打を浴び、無念の降板となった。しかしそれでも首脳陣は前向きだった。杉本投手コーチは「先発ローテで投げるには時間がかかる」とまずダメ出ししたが、「内角直球が打たれたが、攻めの姿勢はいい。それを生かすためにどうするか。特に変化球の制球力だね」とまだまだチャンスを与える事を示唆した。王監督も「変化球はよかったよ。あと2、3回投げればもっといい投球をするんじゃないの。(先発の)チャンスはある。候補の1人」と評価。

その後、チームは逆転勝利を収め、勝利のハイタッチ。その中には満面の笑みを浮かべる西山の姿があった。課題はまだまだある。しかし、だからこそやりがいがある。試練は乗り越えられる人にしか降りかからない。西山はそれを乗り越えていける実力を備えているはずだ。夢を追いかけ続け、四国リーグでの活躍をキッカケに憧れ続けたプロのマウンドへ。この右腕に懸かる期待は誰よりも大きい。

10/7(土) 第21回 早実・斎藤佑樹VS駒大・田中将大 『2006年・夏。甲子園に舞い降りた野球の神様。勝利の女神でさえも微笑む事を拒んだ2日間の熱闘』
「なぜ、スクールベースボールでこんなに盛り上がっているんだ?」世界バスケの取材で日本に来ていた外国人記者がこう言った。
それもそのはずである。日本ほど高校野球が盛んな国は他にはないと言っても過言ではない。
しかし、その盛り上がりには、しかるべく理由があた。簡単に言えば「素晴らしい試合が見れるから」。更に言えば、「すべての人間、すべての瞬間にドラマがあり、何よりプロ以上の真剣勝負が見られる」からである。今年は例年にも増して1イニングでの大量得点による逆転劇、大会記録となる60本の本塁打を記録するなど、ドラマティックな場面が多く見られた。

その中でも、素晴らしい投手戦があった。早実・斎藤と駒大・田中による球史に残る、2日間の熱闘を振り返る。

今大会、誰よりも輝きを放っていたのは間違いなく斎藤だった。
地方大会ではやや不調だったものの、甲子園でその素質は一気に開花した。試合を重ねるにつれ、その実力もさることながら、甘いマスクと「青いハンカチ」で汗を拭う姿が人気を集め、「ハンカチ王子」というあだ名がつくほどの注目の的になった。

そして、甲子園も終焉に近づき、早実は斎藤の活躍にバックの堅い守りで勝ち進み、駒大は苦しみながらも、強力打線の力で逆転勝ち。そして田中の力投で共に決勝に駒を進めた。ここまで斎藤は【5試合 4完投(1試合目もとったアウトは全て斎藤によるもの) 652球】田中は、肩、ひじの違和感等もあり、リリーフでの登板も多かったが【4試合 2完投 493球】共に満身創痍とも言える状態でマウンドに立っていた。しかし、いざ試合が始まると2人はまさに「快投」とも言えるピッチングをしてのけた。田中は3回途中からマウンドに上がり、15回まで投げきった。斎藤にいたっては1人で15回を投げ抜いた。これで斎藤は4日間で4試合4連投(全て完投)で次の日に行われる決勝再試合はファンの殆どが体調面での不安が期待を上回ったであろう。

しかし、斎藤は試合開始のサイレンが鳴り響く甲子園のマウンドに立っていた。その表情はいつも通りクールで、不思議なほどの落ち着き様だった。立ち上がりから140キロ超のストレート、キレのあるスライダーで三振をとる姿に、疲れはまったくと言って良いほど感じられなかった。
一方の田中は、前日からの肩の張りにより、今日も途中からマウンドへ。それでも、躍動感溢れるピッチングと雄たけびは健在。結局、2人共に最後までマウンドに立っていた。結果は4対3で早実が悲願の初優勝を果たした。しかし、結果以上に、最後まで素晴らしい試合をした両チームに惜しみない拍手が送られた。

試合が終わり、斎藤の表情が始めて崩れた。クールダウンの為のキャッチボールをしながら涙を流したのだ。マウンドではクールな右腕が表情を崩したのはきっと喜び、いや安心からだったのではないだろうか。再試合前日には通称ベッカムカプセルに入るほどだった。周りには見せられない姿がそこにはあったのかもしれない。恐らく、ずっと圧し掛かっていた肩の荷が下りた、張り詰めていたものが一気に弾けたのだろうか。その姿に誰もが感動、そして安心したはずだ。

8月21日、「幸せの青いハンカチ」には、汗、涙、そして数え切れない思い出が染み込んだ。

勝利の女神でさえも微笑む事を拒んだ熱闘にもいつか決着はつく。しかしその先にあるものは、彼ら選手による一投、一打、一瞬の積み重ねが作っていく。
全てのプレーがドラマであり、「若さ」だけでは語れない素晴らしさが「高校野球」の醍醐味である。先に述べた外国人記者の方にも、今回の甲子園を見ていただければ、その素晴らしさを少しは分かってくれるかもしれない。